名古屋城の堀で鹿を見るのは、多くの観光客にとって驚きの光景です。
なぜ鹿がいるのか、その理由を解き明かします。
そもそも、尾張藩主が江戸時代に鹿をペットとして飼い始めたことがきっかけで、この伝統が続いてきました。
現在では数が減りつつありますが、鹿は城のシンボルとなっています。
さらに最近では数が2頭まで減り、名古屋市が京都から鹿の受け入れを検討する最新計画にも注目が集まっています。
歴史から見学時のマナーまで、名古屋城と鹿の関係を詳しく紹介します。
目次
名古屋城で鹿を飼ったのはなぜ?江戸時代から探る
名古屋城の歴史を遡ると、鹿が城内にいた理由が見えてきます。実は江戸時代の尾張藩主が鹿をペットとして飼い始めたのが始まりです。当時の記録には、苧贺邑城(おしあわせのしろ)と呼ばれたころから鹿が登場し、緋毛氈の上で飼育されたとも伝わっています。城主をはじめとする藩士や家臣たちの娯楽や贅沢として、鹿飼育は豊かな庭園づくりの一環でした。
言い伝えによれば19世紀前半には、女中たちの遊び相手として鹿が放し飼いされていたとも言われます。しかし鹿たちは成長とともに繁殖力を発揮し、数を増やしていきました。彼らは若葉や木の芽を好んで食べ、城内の木々や作物に大きな影響を与えるようになります。春先の新緑の季節になると鹿が庭木の新芽を食べ尽くし、城内の植生を保つのは難しい状態になりました。
城内の木々が食べられてしまい、藩主たちや城の役人は困り果てました。しかし鹿を殺すわけにもいかず、結果的に鹿は城の中で自由に暮らす放し飼いの方針となりました。鹿が増えすぎて飼育場所を確保する必要から、最終的にはお堀で飼われる方法が考え出されたのです。
尾張藩主のペットとしての鹿
尾張藩主は城内に鹿を飼育し、彼らを愛玩動物として大切に扱いました。藩主の寛容な時代には、鹿が城下の庭園で遊んでいる様子が当たり前の光景だったと伝わります。ある古文書には、尾張徳川家の藩士がまとめた記録に名古屋城で鹿を放していたと記されていたと記憶されています。このように鹿飼育は江戸時代初期から続く長い歴史があり、藩主たちにとって鹿は単なるペット以上の存在でした。
放し飼いにされた鹿は城内で自然に増え続け、藩主の身内や家臣たちの間でも鹿を見ることが日常化しました。昔話として「姫様が鹿と遊んだ」というエピソードも残っています。こうして城内に多くの鹿が暮らすようになり、名古屋城に鹿がいる習慣の基礎が築かれました。
木々と作物への影響
しかし、鹿の増加は問題も引き起こしました。鹿は草食動物であり、城内に植えられた松や桜、各種植栽の若葉を好んで食べてしまいます。この結果、庭園の美しい緑が維持できなくなり、城の整備に支障が出ることもありました。特に春の新芽の時期には食害がひどく、新芽が生えそろう前に食べられてしまうことが日常となっていたのです。
また、鹿は春先になると発情期を迎え、オス鹿同士で角をぶつけ合う争いが起こることもありました。これにより鹿同士のけんかや攻撃的な行動が増え、城内の人や他の動物への危険も高まりました。藩主や城の管理者は鹿自体を捕殺することはしませんでしたが、このままでは城内の自然環境が保てない、飼育が手に負えないという悩みに直面していました。
戦後の再導入と観光資源化
こうした歴史を経て、実は戦後の名古屋城でも鹿が注目される時期がありました。名古屋城は戦後観光地として整備される過程で、江戸時代の風景を再現する目的からお堀に鹿を再導入しました。1960年代から70年代にかけて、市民から寄贈されたり地元動物園から借り受けたりして鹿が城に集められたのです。
その結果、1970年代には鹿の数は50頭以上に達しました。城内を歩いていると、堀の中で草を食べる鹿の姿が訪問者の大きな注目を集めました。鹿たちは戦前の名古屋城の風景を再現する観光資源としても活躍し、多くの来場者に城の歴史と自然を身近に感じさせました。
しかし時代が進むにつれて鹿の数は徐々に減少し、特に1990年代以降は繁殖がうまくいかなくなりました。最近では城内に暮らす鹿はわずか数頭程度となり、現地で大切に管理されています。
鹿が名古屋城のお堀で飼われるようになった理由
鹿を城内に放し飼いにした後、どうして堀で飼うようになったのでしょうか。その答えは、鹿の身体能力と城の構造にあります。鹿は本来ジャンプ力が高い動物です。一般の柵の高さでは簡単に飛び越えてしまうため、高い柵を建てるのは困難でした。そこで考案されたのがお堀を利用する方法です。水の張られた堀があれば鹿は外に飛び出すことができず、柵ほどの人工的な構造を設ける必要がなくなるのです。
名古屋城のお堀は幅も広く、水深もあるため、動物が簡単に脱出できる環境ではありません。同時にお堀の中には草木が生い茂っており、鹿にとっては自然に近い環境が整っています。お堀は鹿の囲いとしてはちょうど良い広さがあり、鹿たちは捕えられているというよりも、広い自然の中でのんびりと過ごせるスペースになりました。お堀の落ち着いた雰囲気は鹿の生活圏として適しており、城の外部からは見えにくいことから、鹿がゆったり暮らせる場所として機能してきました。
鉄柵代わりに活用された堀
鹿が鉄柵や囲いを飛び越えてしまうことから、お堀を活用するアイデアが生まれました。お堀は堀底が深く平坦で水のカーブも緩やかなため、鹿がジャンプして脱走する心配がありません。市の資料にも、お堀なら鹿の跳躍力にも対応できると記されています。お堀に鹿を入れることで、高い金属製の柵を作る手間や費用をかけずに鹿の移動を制限できるのです。
また、当時のお堀には高い櫓や歩道がつくられておらず、城の上から内堀まで見渡せる構造になっています。この構造を利用して、多くの藩士や見学者が櫓から内堀をのぞき込んだという記録もあります。つまり、お堀に鹿を収容することで人々は安全に鹿を見ることができ、鹿にとっても広い環境で自由に行動できるという、一石二鳥の方法でした。
自然環境としての堀
お堀の中には堀底に草木が育ち、水辺の植物が繁茂しています。これにより鹿たちは普通の檻よりも自然に近い環境で生活できます。堀底の植物は鹿の餌にもなり、春から秋にかけては草や潅木の葉を食べて暮らします。また、水が流れ込むお堀は涼しい池のような役割も果たし、鹿が水分を補給する場所にもなっていました。
お堀という環境はかつて城の防御施設でしたが、今では鹿という生き物がのびのびと暮らす“居住地”となりました。生きた歴史ともいうべきこの古い城の風景は、鹿にとっても身を守る場所であり、生態系の一部を担っています。
観光資源としての魅力
お堀で飼育される名古屋城の鹿は、江戸時代から近代まで続く歴史の生き証人です。現代では観光資源としても大切にされています。お城の静かな景観の中で鹿が草を食む姿は、訪れる人にとって格別の風情を感じさせるものです。特に子どもや海外からの観光客は城の石垣や櫓だけでなく、堀に潜む鹿の姿を見つけて驚き、記念写真を撮ることも多いようです。
このように、結果として堀での飼育は歴史の再現であると同時に今の名古屋城に独特の魅力を与えています。城の守るべき文化財としても、新たな観光資源としても、堀の鹿は名古屋城の歴史と自然を結ぶ大きな役割を担っているといえます。
名古屋城の鹿の現在: 頭数減少と再導入計画
かつて50頭以上いた名古屋城の鹿は、現在ではわずか数頭しか残っていません。特に近年は繁殖が行われず、城内に暮らす鹿は母子と思われる2頭だけという状況が続いています。専門家によれば、このままでは数年以内に名古屋城の鹿が姿を消す可能性が高いとされています。一頭でも多くの命を守るため、名古屋市は最新の対策を検討中です。
実際、近く名古屋市議会でも鹿の将来が議題に上がりました。市長は来年中にでも京都から追加の鹿を受け入れ、繁殖を再開する意向を示しています。京都市では宝が池周辺の野生鹿が農作物被害を引き起こしており、射殺される予定の鹿数頭を名古屋城で保護する計画が浮上しました。報道によると、京都から移送されてくる鹿は11月ごろに出発し、名古屋城の堀で生活を始める予定です。
減少の背景: 歴史から現在まで
1970年代には50頭以上いた鹿が、2010年代にはわずか2頭にまで減った背景には、自然繁殖環境の変化があります。これまで追加で借り受けた鹿も繁殖が進まず、高齢化と共に数が減ってしまいました。現在、堀で暮らす2頭はどちらもメスであるため、人工的な繁殖を導入しない限り新たな子どもは生まれません。また、かつては堀の周辺に獣医やスタッフが常駐して世話をしていましたが、近年は民間委託が増えて直接的な管理が難しい状況です。
こうした中で、市民有志から「鹿たちに新しい居場所を」という声が上がりました。京都の野生鹿は増えすぎて射殺対象となり、名古屋の鹿は逆に減少一途。両地域の事情が合致し、名古屋市は唐突な申し出にも対応しています。市長は「多くの来城者に親しまれている鹿を絶滅させてはいけない」と議会で述べ、早期の解決を約束しました。
京都からのシカ受け入れ計画
具体的には京都・宝が池の鹿のうち数頭を名古屋城に迎える計画があります。京都市は農作物被害防止のため鹿の数を減らす方針ですが、そのうち一部を殺処分ではなく、名古屋城で生かす提案が市民から持ち上がりました。これを受け名古屋市は6月の議会で受け入れを表明し、11月から鹿の受け入れ作業を進める予定となっています。
新しくやって来る鹿は数が極端に少ない名古屋城にとって重要な役割を果たします。市は現地で繁殖するだけでなく、京都から到着後の健康管理や定期検診についても検討しています。当初は数頭程度の受け入れを目指しており、将来的には安定的な繁殖体制を整えたいとしています。
鹿保護への市の対応
名古屋市は鹿を保護するための施策を検討中です。観光客からの愛着が高い鹿がいなくなる事態を避けるため、環境整備も進めています。例えば、堀内の草地を整えたり、水飲み場を設置したりして生息環境を改善しようとしています。また、市民と連携して寄付金を募り、鹿の飼育費用や施設維持費に充てる動きもあります。
加えて、鹿の保護活動では地元ボランティア団体も協力しています。調査報告や情報の共有を通じて、繁殖のための適切な餌の配分や獣医による健康チェックの体制づくりを進めています。市と市民、専門家が一体となって名古屋城の鹿を守り育てる取り組みが続けられています。
名古屋城の鹿を見学する際のマナー
堀で自由に過ごす鹿は野生動物に近い性質を持っています。そのため、訪問者には鹿に配慮した行動が求められます。名古屋市からも観光客向けにマナーが呼びかけられており、特に次の点が注意されています。
- 鹿に近づきすぎない
- エサを与えない
- フラッシュを使用しない
- 静かに観察する
鹿は驚きやすいため、これ以上近づくと逃げたり攻撃的になる恐れがあります。周囲の安全に配慮し、十分な距離を保ってそっと見守りましょう。
また、城内の鹿は専用の餌で健康管理されているので、人間の食べ物やお菓子を与えるのは禁止です。異なる食物を与えると腸内環境が乱れ、病気になるリスクがあります。
写真撮影ではフラッシュに注意しましょう。強い光は鹿の眼にストレスを与え、驚かせる原因となります。常に周囲を確認し、他の観光客とぶつからないよう気をつけてください。
これらのマナーを守ることで、鹿も訪問者も安全かつ快適に過ごすことができます。
まとめ
名古屋城の堀に鹿がいるのは、江戸時代から続く放し飼いの伝統によるものです。尾張藩主が江戸時代に始めた鹿飼育が発端となり、城内で鹿が増殖した結果、堀を囲いとして活用するようになりました。現代も名古屋城では歴史の証としてわずかに残った鹿たちが暮らしています。近年は鹿の数が激減し、絶滅を防ぐために市が京都からの鹿受け入れ計画を進めるなど、新たな挑戦が行われています。
訪問者にとって、堀の鹿は名古屋城を彩る魅力の一つです。鹿を見る際は、他の自然観察と同様に静かに行動し、エサを与えない・触らないといった基本マナーを守ることが大切です。これらのマナーを守ることで、名古屋城の鹿はこれからも訪れる人々に癒しと歴史の一端を伝え続けてくれるでしょう。名古屋城を訪れる際は、ぜひ鹿との出会いも楽しみながら、歴史と自然が調和した風景を満喫してください。
コメント