名古屋城の天守閣に輝く「金のシャチホコ」は、その壮大さと黄金の輝きで広く知られています。遠くからではその大きさがわかりにくく、「実際どれくらいの高さや重さなのか?」と疑問に思う人も多いでしょう。本記事では、名古屋城公式のデータをもとに雄と雌のシャチホコの高さ・長さ・重さを詳しく解説し、構造や歴史についてもわかりやすく紹介します。最新の情報で最新の実測値をお伝えしますので、金のシャチホコへの興味・理解が深まる内容です。最新情報でまとめてご案内します。
目次
金のシャチホコの大きさ:高さ・長さ・重さを実測値で紹介
名古屋城二代目の金のシャチホコの実測値は、名古屋城公式サイトや公開資料で発表されています。オス(北側)の高さは約2.621m、メス(南側)の高さは約2.579mで、いずれも成人の背丈を大きく超えます。長さ(鼻先から尾の先端まで)は、オス約1.92m、メス約1.83mほどです。重さはオス約1,272kg、メス約1,215kgといずれも約1.2トン前後に達し、一般的な乗用車と同等の重さになります。
これらを表にまとめると次のようになります。
| 項目 | 雄(北側) | 雌(南側) |
|---|---|---|
| 高さ | 2.621m | 2.579m |
| 重量 | 1,272kg | 1,215kg |
| 鱗の枚数 | 112枚 | 126枚 |
| 金板(金の種類・厚さ) | 18金・厚さ0.15mm | 18金・厚さ0.15mm |
| 金使用量(18金) | 44.69kg | 43.39kg |
高さ
金のシャチホコの高さは、台座から背びれの先端まで計測して約2.6mあります。オス2.621m、メス2.579mという数値は文字通り「二人が肩車したような高さ」で、近くで見ると大人の身長を超える迫力が実感できます。高い位置に設置されているため下からだと正確な高さが分かりづらいですが、公式の実測データによりこれらの数値が明らかにされています。
高さ2.6mは、大人男性の背丈約1.7mよりかなり高く、たとえば2階建て家の窓くらいまで届く大きさに相当します。名古屋城天守の5層7階建ての最上部に鎮座する姿は遠目にも見えるほどの規模で、その高さからもシンボルとしての存在感が伺えます。
長さ
金のシャチホコの長さ(前後方向)は、オスが約1.92m、メスが約1.83mとされています。これは鼻先から尾の先端までの長さで、人間の身長と同等かやや短い長さです。胴体は魚形で全体に躍動感ある形状ですが、湾曲した尾の反り返りなども含めると約2m近くになります。長さの実測値も公式には公表されていませんが、歴史資料や復元設計図から上記の数字がわかっています。
このように幅(左右)ではなく奥行(前後)の寸法も約1.8~1.9mとかなりの大きさがあり、屋根の先端に取り付けられているとは信じがたい巨体です。軽装備の可搬サイズではないため、二百人力以上のクレーンで釣り上げる必要があり、16年ぶりに地上に降ろした際には大きな話題になりました。
重さ
金のシャチホコ1体の重さは約1.2トンと、車数台分にも相当する圧倒的な重量です。実際にオスが約1,272kg、メスが約1,215kgという数値は、成人男性30人分ほどの重さに匹敵します。非常に重量のある造形は、厚い金の装飾を身にまとい内部骨格がしっかりしているためです。
この重量はシャチホコを屋根に載せたり降ろしたりする際に大きな技術を要する理由にもなっています。例えば2021年には名古屋城復元事業に伴い金シャチホコが初めて地上展示されましたが、吊り上げにはクレーンが使われるなど大掛かりな作業となりました。その際にもシャチホコの高さ約2.6m・重量約1.2tは大きなニュースとなり、改めてその大きさと重さが伝えられました。
金のシャチホコとは?名古屋城の黄金の守り神
そもそもシャチホコは、魚の胴体に虎の頭を融合させた想像上の生き物です。古くから日本の城の屋根飾りに用いられ、水を呼ぶという伝承から火災除けの守り神とされてきました。名古屋城に座る金のシャチホコは、その象徴的存在であり、豊臣秀吉期以降、尾張徳川家の権威を示す装飾としても機能してきました。
金色に光り輝く装いには「火災を鎮める」という言い伝えもあり、万一火災が起きた際には水を吹き出して火を消してくれる守り神と信じられていました。実際に千年以上も続く名古屋城の歴史の中で、幾度も修理や改鋳が繰り返されていますが、その黄金の輝きは城の守護と繁栄を象徴するものとして城下の人々に大切にされてきました。
シャチホコの由来
シャチホコは古くは中国から伝わったとされる伝説上の動物で、日本では平安時代から寺社や高級建築の屋根に飾られていました。魚の体に虎(あるいは龍)の頭を持つ姿は非常にユニークで、その名は「魚の鯱(しゃち)」。中でも頭部が虎なのは、虎が火を恐れるという説から火除けの意味を持っています。
巨大な金色のシャチホコは、名古屋城では単なる装飾以上に重要な意味を持ちます。鎌倉時代には九州の博多にもシャチホコが伝わっている記録が残りますが、名古屋城の金シャチは特に豪華。徳川家康が1612年(慶長17年)に名古屋城を完成させた際、その権威を示すために金ピカのシャチホコを載せたと言われています。それ以降、尾張徳川家の威信を示す城の象徴として親しまれてきました。
名古屋城の金シャチホコの特徴
名古屋城の金シャチホコは全国唯一とされる本物の金箔張り鯱です。他の城(大阪城や岡山城など)にも「金鯱」はありますが、それらは金箔を瓦に貼ったものが多く、名古屋城のように18金の延板で造られたものは珍しい存在とされています。有名な金シャチホコ展の資料によれば、名古屋城の金シャチホコには純度18金の板が使われており、2体で合わせて約88kg(18金換算)にもなる贅沢な作りとなっています。
また、金シャチホコは見た目にもインパクト大で、市内ではモチーフになった様々なモニュメントやデザインが見られます。参考までに、名古屋城周辺の「金シャチ横丁」にはシャチホコを模した噴水があったり、観光用の配水口マスに金シャチのシンボルが刻まれていたりします。こうした名古屋城シンボルの親しみやすさが、地元文化に根付いた名古屋らしさを感じさせてくれます。
金のシャチホコの構造と素材
金のシャチホコは単に金属の像ではなく、内部に木材を使った精巧な寄木造(よせぎづくり)で作られています。まず芯木を彫刻して形を整え、その上に鉛板を巻いて強度を確保。さらにその上に鱗状に銅板を打ち付け、最後に18金(純度75%)の金板を張り付ける構造になっています。銅板を留める銅釘も造形に応じて何百本と使われ、全体を固定しています。こうした幾重もの層の加工により、金シャチホコは遠くからでも燦然と輝く豪華な仕上がりとなっています。
金板の厚みは0.15mmと非常に薄いものですが、貼り合わせる面積が大きいため18金だけでもオス側で約44.7kg、メス側で約43.4kg(計約88kg分)もの金属を使用しています。18金は銀や銅を25%混ぜた合金なので、純金部分で見れば約66kgに相当します。現代の地金価格(1gあたり数千円)で換算すると桁違いの価値になることからも、名古屋城の金のシャチホコがどれほど豪華な装飾であるかが分かります。
内部の構造
内部の芯木には主に高級な木材が用いられ、複雑な曲線を持つシャチホコの形状をしっかり支える柱となっています。水平方向や垂直方向には補強材も入れられ、風雨や地震にも耐えられるように工夫されています。全体を強固に覆う鉛板は防錆効果も兼ねており、さらに銅板の下地があることで金箔が直接空気に触れることを防ぎます。このように、金のシャチホコは美しさと実用性を両立させた複合構造で守られています。
使われた金の量
金のシャチホコに使われた金属量は非常に多いことでも知られています。前述のように18金板だけで約88kg使われており、これは江戸時代中期の慶長大判で約1,940枚分(純金換算215kg)に相当します。これを現代の金価格で換算すると、二体分の金は数十億円相当にもなります。もちろん値段の計算は今と当時の貨幣価値が違うため一概には言えませんが、いずれにしても名古屋城の金シャチホコは歴史的にも金銭的にも極めて高価な文化財です。
一方、同じ名古屋城の天守閣にいた昭和初期の金シャチホコ(二代目)も空襲で焼失しましたが、その再建時にも大量の金が使われました。高さ約2.6mのシャチホコ2体の製作には純金に換算して合計約66kg分の金が必要で、これも全国的に見ても異例の量です。現在では全国に数あるシャチホコの中で金の延板で作られたものは名古屋城のみとなっており、本当に「金でできたシャチホコ」と言える仕組みになっています。
雄と雌の金シャチホコ:サイズと見た目の違い
名古屋城の金シャチホコは一対になっており、北側に雄(オス)、南側に雌(メス)が配置されています。公式データでもオスが少し大きく作られており、雄の方が高さ・重さともに数パーセント上回ります。これが「雄の方が大きい」と言われる所以で、実際の高さはオスが2.621m、メスが2.579m、重さはオス1,272kg、メス1,215kgです。また鱗の枚数は逆にメスの方が多く、オスが112枚なのに対しメスは126枚あります。このためメスのシャチホコの方が装飾が華やかに見える特徴があります。
雄雌の大きさ比較
表でも示した通り、オスの金シャチホコの方が若干高さも重量も大きく、サイズ的には目に見えて区別できます。天守閣から下ろされた際の映像などでは、オスがやや大柄でメスより重そうに見えますが、その差は約5%程度。重量に換算するとオスが約57kgずつ重いという程度で、ふたりを並べても「明らかに巨大」なことには違いありません。
このサイズ差は天守閣の北側・南側という配置にも理由があり、昔から「北風から守りたいメスを名古屋城の北側に守るため、オスは北側に置かれた」という伝承もあります。ただし目で見て識別するには骨格の差異は小さく、実際には配置と鱗の数で見分けるのが確実です。現在は公式の高さ・重さが公開されていますので、これらの数字を目安にイメージしてください。
外観と見分け方
雄と雌の金シャチホコは遠目にはほとんど同じに見えますが、近くで見るといくつか見分けるポイントがあります。一番わかりやすいのは尾びれまわりの違いです。雌シャチホコには体の左右に「胸びれのような飾り」が追加されており、鋭く反り返る尻尾に加えて胸の付近にも小さなフィンのような飾りがあります。雄シャチホコにはこの胸びれ飾りがなく、尾びれのみで構成されています。これがなかなかの特徴で、現在公開されている資料で確認すると、雌は背びれや尾びれに加えて前方に胸びれ状の飾りが付いています。
また、シャチホコをよく見ると口の大きさも微妙に違います。一般に雄はメスより口が大きく開いているように見え、体躯もわずかにがっちりしています。さらに、公式には北側が雄、南側が雌と決まっているので、参観ルートでは最初に北側の雄、続いて南側の雌という順番で見学するケースが多いです。これらの違いを踏まえて観察すると、間近で見てもどちらが雄か判別できるようになるでしょう。
金のシャチホコの歴史:誕生から再建まで
名古屋城の金シャチホコは、江戸時代初期に築かれた名古屋城の完成とともに設置されました。1612年の築城当初、徳川家康は尾張徳川家の権威を示すために天守閣に豪華絢爛な金のシャチホコを載せたと言われています。その時代、金のシャチホコは「天下様にも匹敵しない輝き」として謳われ、東海道を行く旅人からも名所として称賛されました。
しかし歴史の中で度重なる火災や財政難により、金シャチホコは幾度か修復・改鋳されてきました。江戸時代中期の享保改鋳や文政改鋳、幕末の弘化改鋳では金の純度が下げられ、装飾の一部が変更されるなどして光沢が薄れていきました。その後幕末の慶応3年(1867年)頃に一度天守から外される計画もありましたが、文化財として保存を求める声で辛うじて撤去を免れるなど、幾多の予期せぬ事件を乗り越えてきました。
戦災と再建
太平洋戦争中の1945年5月、名古屋城はアメリカ軍による空襲で天守閣もろとも焼失します。金シャチホコも当時のものはすべて焼け落ちてしまいました。しかし戦後、名古屋市民や復興関係者の努力により、かつての図面や模型をもとに詳細に再建する計画が進められました。1959年(昭和34年)には二代目の金シャチホコが完成し、現在の名古屋城天守に再び黄金の守り神が戻りました。
再建された金シャチホコは当時の技術で忠実に復元されましたが、素材や製法は現代にも耐えうるよう改良されています。昭和の再建では日本国内外の技術が採用され、鱗の配置や金箔の張り方など細部に至るまで昭和初期のものと酷似させつつ、内部構造には補強材を追加して強度を高めました。こうして生まれ変わった二代目金シャチホコは、空襲による町の再建とともに名古屋市民の誇りとなり、毎年多くの観光客を魅了する存在となっています。
まとめ
この記事では名古屋城の金のシャチホコの大きさについて、公式データを基にご案内しました。金シャチホコ1体の高さは約2.6m、長さは約1.9m、重さは約1.2トンというスケールで、極めて巨大で重量級であることが分かります。また、雄(北側)と雌(南側)では雄の方がわずかに大きく作られ、雌は装飾的な鱗が多いという違いがあります。金シャチホコの構造も非常に精巧で、木と銅と金が何層にも重なった複雑な造りです。長い歴史の中で再建を繰り返し、現在に残る二代目は最新技術で復元されたものです。
金のシャチホコは名古屋城の象徴であり、その存在感と伝説的な意味は今なお色褪せません。実測に基づく最新情報をもとにした本記事で、金シャチホコの大きさや特徴について理解が深まれば幸いです。名古屋城を訪れる機会があれば、この記事で学んだ情報を思い出しながら間近にそびえる金シャチホコを楽しんでください。
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